イギリス生活で辛いことって?親の死に目には会えないかもしれないしイギリスで祖母を亡くすかもしれない。

  • 2019年12月11日
  • 2020年1月22日
  • コラム
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「イギリスで辛い事って何?」

「海外生活で大変なことは?」

パッと頭に浮かぶ問題は、仕事とお金、それから語学。イギリスで将来どうやって生活するのか、または駐在であれば帰国後のキャリアとか。

言葉で説明がつく具体的な不安。

それらは自らの努力や頑張りと少しの運で何とかカバーできそうな大人の事象たちで、やれないことはありません。

ただひとつ心にくすぶって残るのは、大切な人への心配事です。

老いていく親や、生活を別にしている好きな人。

平凡妻の場合は高齢の祖母に。

イギリスで四苦八苦やっている間にも、日本の時間はどんどん流れていました。

息子がハイハイして、立って走って、小学校に行く男の子になっている間に、祖母はいつの間にか自分でシャンプーができなくなり、トイレが近くなり、デイサービスに行くようになりました。

子が成長した年数分をまわりが老いていくのは当たり前なのに、どうも年に一度しか会わないと早送りで全てが進んでいく。

普段イギリスで暮らしていると、ここで過ぎ去る24時間や一ヵ月や一年こそがリアルで、遠い日本はどこか離れたパラレル・ワールドの世界のように感じることがあります。

子どもの頃から一つ屋根の下で育ち、働く母の代わりに育ててもらった祖母は親代わりです。

祖母は若くして母を産んだので孫の私が30歳を超えた今も生きていることだけで幸運だとは知っているし、ずいぶん高齢なのでもし今、亡くなったとしても人は言うのです。

大往生だったね、幸せだったね、と。

その通りだからギュッと胸が痛い。

長寿という事実はきっと近い未来に祖母を失くすだろう私の悲しみを慰めてはくれるだろうけれど、消せるものではありません。

人は必ずいつか死ぬ。

祖母と両親を順番に亡くすのが自然のことわりで幸せなはずなのに、悲しみの濃度はいつだって愛情の重さに比例します。

祖父の葬式では一粒も泣けなかったけれど、子どもの頃に拾った犬が死んだ時はオロチマルかよってくらい目がパンパンになるまで泣きました。

だから、年に一度しか会わないと急に小さくなったように見える祖母を前にするとゾッとするのです。

あれ?こんなに老けてたっけな…?

(いや80超えてるから老けたっていうかって感じだけど)

最後に会ったときはハイハイだった息子の成長を、

「もう走れるの⁉」

「やだ、服が入らないわ。」

と目を丸くして驚く家族たちを横目に、いつの間にこんなに小さくなったのかと、早送りで老女化する姿の祖母を見て、慄く。

確実にそこまで、死ぬ日まで、コマが進んでいるのを見てしまった気がするから。

一時帰国するたびに、

「これが最後。多分もう会えない。」

と思いながら「また来年ね。」

と手を振る。

また来年がないかもしれないことを、祖母はきっと知っています。

そうでなければ、気丈なあの人が息子を抱きしめるときに目を赤らめたりはしないはずだから。

息子は「おばあちゃん」を覚えていてくれるだろうか。

5歳なら忘れてしまうだろうか。

「抱っこして」と甘えた3歳では膝の上に乗せられたのに、今年は「抱えられないわ」と腕を回すことしかもうできなくなった祖母の切なそうな顔と、「なんで?」とあどけない質問をした、まあるい頬の息子を思い出します。

クリスマスがもうすぐですね。

イギリスに親族がいない日本人家庭の我が家は、プレゼントはサンタさんからひとつだけ。

今年は特別に日本から息子に、欲しがっていたプラレールの大きい電車のセットが送られてきました。

去年の帰国の際に息子がイオンモールのおもちゃ屋で欲しいとダダをこねた時に私が、正直邪魔すぎるしイギリスに持って帰れないから、と買ってやらなかったもの。

日本にいたらありがた迷惑、と顔をしかめてしまいそうに騒音が激しく、けばけばしい配色のプラスチックのおもちゃ。

祖母から息子への大きすぎるクリスマスプレゼント。

「これが最後になるかもね。」

「大事にして。」

と胸の内で唱えて組み立てました。

祖母が買ったおもちゃを見て、海外生活で辛いのは、このいつでもサヨナラする覚悟だと思いました。

それが人によっては父だったり母だったり、大切な誰かだったりするんだろうと。

送り出す人も、あと何回会えるのだろうと数えないようにしていたりするんじゃないのかな、とも。

留学もワーホリも駐在も永住も、不幸のタイミングがいつ来るのかはわからない。

いつか必ず来るお別れを、ここで暮らしているとずっと強く意識します。

ボイラーの故障もネズミも、郵便物が生垣に埋もれている姿にも慣れ、ついでに孤独と英語にも慣れた今、日本に帰国したいとは思いません。

家族の生活がもうここにあるからです。

たまに大麻キメながら歩道をユラユラしてるヤンキーやテロの危険やエグいレイシストが転がっていたりしますけど。

母国の土は1gも踏まなくて構わないものの、遠く離れた家族や友人の存在はいつも心のどこかで心配しています。

きっとそれは海外に限らず、遠く離れて暮らす大事な人がいればみんなが思うことなのかもしれません。

もしかしたら犬かもしれないし、恋人かもしれない。

天災が多い日本で暮らす人たちに、何かあったときは無事を祈ることしかできないのはあまりにも役立たずだな、としみじみ思った寒い冬の一日でありました。

いつでもサヨナラする覚悟、と書いたけれどそれは心で思うだけで、実際にその日が来たら全然そんな覚悟なんてなかった、と泣いてしまうだろうことを、実はもう知っているのであります。

それを愛と呼びます。

たぶん。