イギリスは雨も降ってるし、肌寒いし、こんな日は思い出話でもしませんか。
音楽の話にしましょう。
雨降りにふさわしい、記憶のセンチメンタル・ジャーニーに出かけましょうか。
みなさんの記憶の中に住んでる音楽は、何ですか。
平凡妻の一番古い音楽の思い出は、母親と見ていた「おかあさんといっしょ」の「パジャマでおじゃま」です。
ぱじゃぱじゃぱじゃ!ぱーじゃーまッ!とひたすら口がもげそうなほどパジャマ連呼するだけの歌なのですが、この曲が終わらないうちにパジャマのボタンを閉めないとクッソ怒られた思い出の曲。
叱られてばかりだった子供時代、当時住んでいたアパートの床がオレンジ色の花柄で、その柄を見つめながら母親の関心を引きたくてハナクソをこすり付けていたことも覚えています。
(きったねぇオエー‼)
その後、うたのお兄さんが覚せい剤で逮捕されたときはマジで震えました。
クスリ打って頑張っていたのですね。子供相手の商売は大変だな。
その後の思春期と青年期は、好きな音楽というのはありました。
平凡妻は音楽に限らず、映画や小説などはこだわりが強い方で、狭い範囲で突き詰めるのが好きなタイプの人間です。
でも不思議と懐かしく記憶にこびりついているのは、周りの人達から流れて来た音楽のほう。
ぜんぜん好きじゃない音楽でも、残っている。
それは例えば、山手線でふと懐かしいブルガリ・プール・オムの香りがして、今は1㎜も思い入れもない小林君を急に思い出すように強烈にです。
曲を聞くとフラッシュ・バックされる過去の情景。
音楽は記憶を生々しく思い起こさせる力があります。
平凡妻はアホですが、中学時代はガリ勉でした。←しかし高学歴でない悲しみよ
夜11時までは塾で勉強し、帰り道は買ってもらったCDプレイヤーでTSUTAYA君イチオシのaikoを聞いて「恋愛ってこんなに辛いの?」とヨヨヨしたこと。
aikoは歌詞がポエミー。
恋愛中はヒトは大体アタマがおかしくなり、ポエム野郎になります。aikoはその美しいなれの果て。
孤独を持て余す夜にシングルベッドに優しさ持ち寄ったりするんですよね。
どーにもなんねぇのに。
彼女は、インタビューで答えた「一生恋愛したいから結婚はできないと思う。」を有言実行しているあたりにプロ恋愛節を感じる。
地元の中学校のセーラー服の女の子を見ると、蘇る記憶とaikoと夜の帰り道。
あの頃の自分に言いたい。
「いいぞ。勉強はもっとしとけ。」
そして、夏になるとケツメイシ。
高校の文化祭準備のため夏休みに登校し、汗を受け止めるためにタオルをデコに巻いて、屋台にペンキを塗った16の夏withジャージ。
(風貌は完全にTOKIO)
そこで流れてたのがケツメイシ。
全く趣味じゃない音楽がひと夏中ラジカセから流れていたおかげで、今も夏になるとケツメイシをイギリスで聞く羽目になっています。
もちろん、全く合わない。
イギリスの夏の情景とケツメイシは、例えるなら田舎のばーちゃんちでトライフル食ってるみたいな違和感。
(場所とモノが逆ですが)
私の中でケツメイシは、隅田川付近のBBQ場で、ウェーイしながら大して美味くない肉を食う時に聞く音楽にカテゴライズされます。
平凡妻は「外焼き肉を」「地元の仲間と」「紙皿で食うこと」に、何の感動もない人種です。
BBQ好きじゃないのに、ひいては野外カルチャーや地元じゃ負け知らず人間は好きでもないのに、なぜか聞く。
理由はただ、「夏だから。」
クラスメイトが私にかけてしまったひと夏の呪い。
※BBQ大好きさん、ゴメン。
カナダの暗黒留学生時代はビヨンセ。
全然好きじゃないビヨンセを聞くほどには精神ブレブレでメンタルがやられていました。
当時流行っていて、店でもよく流れていた。「リスニングにいいかも!」みたいな健気ガールだったのだと思います。
カナダで暮らしていた町はシックな建物は少なく混沌としていて、あまり飾りっけのない何てことのない町。
全然思い入れもない。
ホームレスがいっぱいいて、この人ら寒さで死なないのか?と思っていた。
(凍死防止にちゃんとシェルターが開きます。)
娯楽と言えばホットドッグの屋台で小腹を満たすか、コーヒーが飲みたければ贅沢したいときはスターバックス、お金がないときはTim Hortonsによく通った記憶があります。
Tim Hortonsのアイスカプチーノと雪とダメ英語とビヨンセと私。
記憶に残る音楽は、その時に食べていたものや、景色、当時の自分の心情まで全部連れてくる。
だからあまり聞きたくない苦い思い出。
よくある「振られた元恋人が好きだった曲」みたいな感じですかね。個人的には読者の皆様の辛みマシマシ・ソングが知りたい。
人様のHAPPYキラキラ・メモリーには用はないけれど、苦しみの音楽(しかも好きじゃない)こそ、その人の歴史がギュっと詰まっていておもしろい。
ぜひ教えてください。あなたの周りから流れてきて、思い出に住み着いてしまった音楽を。
もちろん逆もあり、私の音楽も誰かに引っ付いています。
夫は全然好きじゃないくるりやオザケン等をふいに口ずさむことがあって、
「好きになった?」
「ううん、好きじゃないけど何となく。」という会話が生まれる。
こういう会話は愛おしい。今、私にいちばん近いこの人は、私の音楽の呪いにかかっているのだと実感するからです。
私が死んだあとに聞いたら、私を思いだす曲たち。
平凡妻と夫の趣味は真逆なので、一緒に聞く音楽はほとんどありません。
この間、「4月になれば彼女は」という小説があったなとふと思い出しました。同じ著書の「世界からねこが消えたなら」という本を、息子を生んだその日に夫が入院中に読むようにと買ってきてくれたのです。
小説のタイトルはサイモン&ガーファンクルの「April come she will」からなのかな、と感動して夫と再生してみたけれど、やっぱり反応はいまいち。
平凡妻は好きなのですけどねぇ。
夫はスリップ・ノットとマリリン・マンソンを聞くタイプ!!(マッジで無理)あと広末の「Majiで恋する5秒前」←色々とヤバイが広末のショートカットでかわいいは正義だということは同意。
読者の皆さんと思い出ソングについて語りたいです。年代がバレバレであろうトーク内容になりそう。
ということで、本日はただの音楽についての日記でした。
暇つぶしを一緒にしてくれて、ありがとう。
トップ画像はVampire WeekendのCONTRAです。晴れた夏に聞きたいオルタナ。寒い雨降りには合いませんが、日本はまた暑そうなのでおすすめ。
平凡妻は、寒い雨降りのイギリスではキリンジを聴くのが好きです。今もかかってる。解散しちゃって悲しかったな。
ではまた。