イギリスで受けたカルチャーショック/隣のフランス人と放射能と東日本大震災

我が家のフラットのお隣に、フランス人一家がお引越ししてきました。30代のパリ出身のご夫婦と、1歳の男の子のファミリー。

引っ越しの挨拶がてら我々一家をアペリティフ(夕食前の軽いお酒の席)に呼んでくださったときのお話です。

「フランス人は議論好き。」とはよく聞くステレオ・タイプの噂です。

平凡妻はフランス人のお宅にお呼ばれするのは今回が初めて。旅行はしたことはあっても、濃い交友関係は持ったことがありません。

「この町には慣れた?」

「おすすめのベーカリーは3つ角を先に行ったところ。」

「クロワッサンが美味しいよ。」

などと中身スッカラカンな話をお隣さんのお宅のソファに埋もれて錬金し、息継ぎと共に慣れないシャンパーニュを飲む平凡妻。

そのうち奥様と私は育児の話で盛り上がり、主人は男同士で仕事の話で和やかにお酒は進みました。

なーんだ、日本人やイギリス人とあまり変わらないじゃん、と安心しておりました。天気とベーカリーと子供の話したら終わるわ~、と思っていた。

そしたら議論爆弾が投げ入れられました。

「福島の放射能はどうなっているの?」

…おや?会話の風向きが変わったことは察知しましたので平和な着地点を探します。

「政府が検査してるよ。問題はないみたいよ。」

とサラッと答えました。早くこのトピックを終わらせたい。

なぜなら、平凡妻はほぼ初対面のこの人達と放射能について議論しに来たのではないからです。

ご近所付き合いをするのに必要な最低限の自己開示をしに来ました。

「日本政府はおかしいわ。」

「フクシマ、デンジャラース。」

「避難は当然よ。親の義務。」

「危険なものは食べさせちゃいけない。」

「任期が終われば日本に帰るの?やめなさいよ。」

「イギリスで仕事を見つければいいのに。」

「おまけにnorth koreaにマッド・ガイまでいるじゃない。」

「Remember,チェルノブイリ。」

ズッドーン!!何も言えねぇ矢継ぎ早すぎて。

…OK,OK.

ノースコリアのキムがマッド・ガイなのは1000%同意します。ちょうどこの頃は日本に向けてマッド・ガイがミサイル発射しまくっていた頃でしたので、心配してくださったのです。

分かります。

「直ちに影響はない。」という見解があったのに、保育園の園庭で基準値以上の放射線量が検出されたニュースが流れ困惑し、でも「食べて応援!」のポスターが張られるカオスな日本に5年前まで暮らしていたのです。

何を信じればいいのか、当時は多分みんな迷っていました。

政府の見解を受け入れ「食べて応援!」する人もいたし、やっぱり心配で転居を決めた人もいらっしゃいました。

そこまでしなくとも、九州や西日本産の放射能の危険が少ないであろう農産物を選ぶ人もいたはずです。

誰も間違っていません。

平凡妻は息子が生まれたばかりで、離乳食はできるだけオーガニックの西日本産の野菜を買っていました。

「食べて応援!」は「直ちに影響はない」時期が来る前にポックリ逝く高齢or自分で食べることを決め結果も受け入れる大人はいい。

たまに食べるにはいいかもしれませんが、当時の平凡妻は放射線量がヤバイマップの赤orオレンジの地域で暮らし、ほぼ毎日そこの野菜を地産地消していたワケです。

食べて応援とかそんな意識高い系じゃなくて、ド田舎は店もないし選べないの。だから全オレで応援してました。

別にOKです。

ワタクシは大人ですし、外食を含めると何から何まで管理しきれません。

でも、ぶっちゃけ産まれたばかりの小さな生き物の、はじめて口にする野菜やフルーツは選びたい。

息子に食べさせたくはありませんでした。

たとえ1%でも危険があるかもしれないのならば、そしてその危険の結果を負うのがまだ意思もない息子ならば、私は与えたくありません。

親としては選べるなら、間違いない方を選びたい。

風評被害もあるでしょう。でも、妊娠中と乳児期は摂取する魚の種類のグラムや、紅茶一杯のカフェインまで気にしながら生きている。

被災した方より、経営に苦しむ農家の方より、全世界の人類より息子ひとりの将来の1%の危険性の方が大事でした。

親としてはフランス人の彼女と見解は同じです。申し訳ないけれど。

しかしだからと言って

「そうね。日本はおかしい。」

「放射能も怖いキムも頭オカシイから日本は危険。」

とは言い切れません。

これは東日本大震災を実際に経験しないと分からない気持ちかと思います。

震災当日、私は会社の倉庫にいました。

揺れが強くて立てず、頭上にあった什器が大嫌いな先輩の頭部スレスレに落ちて、青ざめて手を引っ張って庇ったことを思い出しました。

目の前の化粧品工場から出火し、燃え広がっても来ない消防車を、寒空の駐車場でいつまでも待ったこと。

帰宅できずに会社に泊まり、ダンボールを敷いたデスクの下で、津波で流された行方不明者の名前をラジオから明け方まで聞き続けたこと。

翌朝の社員食堂で見た嘘みたいな津波の映像。

原子炉が燃えている映像がテレビで流れ、我が家の寒いリビングで「日本、終わった…。」といつも口数が少ない父が呟いた、あの時の空気。

被災した方には申し訳ないほど、大したことないことばかり。

命の危険はなくライフラインも1週間かからず回復しました。身内で命を落とした人はいないし、第一次産業に従事している人もいません。

それでも、「あなたには分からない。」「そんなに割り切れないの。」と彼女に思いました。外から見てたあなたには分からない、と。

「放射能はそれだけを切り取れない。」

「どれだけの日本人が東日本大震災で亡くなったと思ってる?」

「津波だけじゃない。」

「その後の生活が苦しくて自殺する人もいたのよ。」

「初対面でする会話じゃない。」

…帰宅したあと、飲み込んだ気持ちが溢れて疲弊しました。

どれも言えばよかったのかもしれません。何で言わなかったのだろう、と思っても、やっぱり言わなくて良かったと思い直しました。

彼女は心配から、彼女の信じる正論を言ってくれたのです。

同じ子供を持つ親として、同じ異国で暮らす友達(見込み)として。

確かに日本は地震も多いし、隣国の北朝鮮はヤバイ。

いつ被災するのか次の震源はどこなのか、誰もが頭の片隅で心配しながら暮らしている。

だけど両親も友達も暮らしている日本。

東日本大震災で亡くなった方、大切な誰かを亡くした方、被災した方、第一次産業に従事する方、また事業を畳まなければならなかった方を思うと、そう簡単に言い切れる問題ではない。

お宅さんの国の新聞が「腕が3本生えた日本人!」とかなんとか、めっちゃ揶揄ってるの知ってますし。

当時、たとえ私が息子に東北産の野菜を与えなかった母親でも。

あーーー疲れた。

後半は何の味もしなかった酒よ。

「またアペリティフしましょうね。」

とハグをし合いましたが未だ第2回は来ていません。そして多分それは永遠に来ないと思われます。

フランス人は議論好きなのかは知りませんが、お隣はそうだったようです。

サラっとしか答えなかった平凡妻を恐らくただのバカか無知か、意見のできない弱腰野郎と判断したのかもしれません。

残念ながらどれも間違ってないんだな。

結局、平凡妻は深刻な被災を経験したわけでもない、今は海外で暮らす傍観者です。

彼女とはこのトピックでは同じ視点で語れなかっただけだと思います。

文化の違いと、当事者の違いと、海外と国内の視点の違い。

海外と国内の評価や意見はもちろん、日本国民でも住む場所によって、東北と東北以外でもきっと意見は変わるし重さも変わる。

イギリスの友人からはこの件について聞かれたことはなかったので、少々カルチャーショックに慄きました。

次もし同じことが起こったときどう答えればいいのか、未だ正解はわからないままです。

とりあえず、今日も読者のみなさまが一日健やかに過ごせることを願います。