本日、11月11日はイギリスのRemembrance Day、またはPoppy Dayです。
第一次世界大戦の戦没者への哀悼の意を表すために、胸にポピーのバッジを付けた人々がイギリス中に溢れます。
今は第一次世界大戦だけではなく、その後の戦争でイギリスのために命を落とした英霊へ捧げる日となっている模様。
バス、地下鉄、町のモニュメントにもポピーポピーポピー。
ショップのディスプレイもポピー。Tescoのお兄さんの制服の胸にもポピー。ポピーを着けてないと非国民扱いされそうな勢いを感じるポピーデイ。
平凡妻は渡英して1年目の冬、このポピーの意味を知らず、
「その花、みんな付けているけど何なの?」
とイギリスの友人にわいわいコーヒーブレイクしている時に聞いてしまい、気まずい顔で説明されました。
無知ってコワイですね。←オイ
何が気まずいって、第二次世界大戦でイギリスと日本は敵対国だったという事実が彼女と私の間に一本の川として隔たっていることです。
反抗心からでもなく、日本人だから付けたら変かな~とかでもなく、平凡妻は募金もしないしポピーも付けません。
主義ってほどでもないけれども、ポピーを付けることによって、日本の戦没者を裏切るような気持ちに少なからずなるからです。
世界平和は願いますが、イギリスのために哀悼はしません。
日本の終戦記念日は重い気持ちになって、「火垂るの墓」の節子の遺体を燃やすシーンを回想して涙ダバーッッのち、戦争は断固反対!とは思う。
その説明してくれた友人はこの日以降、5年間毎月のように会っていますが、平凡妻の前でポピーを付けている姿を見ません。
気を遣っているのか、ポピーアピールをやめたのかは謎です。
気にせずぜひ付けてくれ。
確かにイギリスに暮らして5年、毎年やってくる11月のポピー・デイ周辺はやや肩身が狭いとは感じます。
自分はイギリスでアウト・オブな外国人であると一層実感するし、ポピーを付けた人たちにバスで四方を囲まれたら「私は日本人…。」と頭をかすめる。
平凡妻の亡くなった祖父は、戦争経験者です。
陸軍の前線で戦った祖父の足には「敵兵に撃たれた銃弾の傷跡」があって、小さいころ見せてもらったそれは結構グロかった。
戦争に行ったことを誇らしげに話す祖父の顔。
田舎の祖父の家には、戦争から帰還した際に送られる感謝状と、代々の天皇家の肖像写真が飾られていました。
お金持ちでもない農家の家で、額縁にはめられ高々と飾られていたそれらと、黒ずんだ陸軍のメダル。
くすんだ田舎の家で浮いていた威圧的な存在感。祖父の唯一の宝物だったのだと思います。
こう書くと、完全に戦争美化した極右ジジイのようです。
息子を生んだ際、90を超えた祖父は開口一番、
「天皇陛下万歳!!」
って言いました。
お察しの通りヤバイ人です。
でも思う。
そう生きていくしかなかったのだと。
終戦記念日、祖父はいつも一人で過ごしました。
NHKで「あの日を振り返る」的な番組が当時は毎年放送されていて、その時間だけは居間にいる祖父を一人にさせてあげる暗黙の了解が親族みんなで共有されていました。
いつもは孫とじゃれ合う時間を何よりも優先させていた祖父でしたが、この日だけは一人きりで過ごしたいと感じていたその気持ちは、何も知らない子供の私も察するものがありました。
祖父だけが抱える暗闇を、誰も知らなし、分からない。
電気を付けない真っ暗な居間で、爆撃機の音や前線の声などの特集を見つめていた祖父の背中は、痛々しかった。
撃たれた話しか聞いたことはなかったけれど、きっと祖父も撃って撃って、生きて帰って来たのだと思います。
Poppy Dayで思い出すのは、祖父のことです。
勝手ですけどね。
生きて帰った祖父が、暗い時間を過ごす終戦記念日の時間を、今日は思い出します。
そして、死ぬまで銃痕のこと以外は口を開かずに逝った祖父のおかげで、平凡妻はオギャーと生まれ、その息子がオギャーと生まれました。
祖父がその時代に生きたゆえの葛藤と苦しみを胸に抱えて、その結果、息子を
「うちの天皇陛下」
と呼ぶのなら、まぁいっか。
じっちゃん、ありがとな、と胸にポピーはささないまま今日もイギリスで元気に暮らしています。
少しの気まずさと共に、ポピーの裏にある亡くなった人々の命と、その先の生まれなかった命を考えることが、平凡妻にとってのリメンバランス・デイです。
ポピーは要らんけど戦争反対!!
イギリスの戦没者も日本の戦没者も、もちろんその他の国の戦没者も、時代に呑まれて散った人々の命に哀悼を捧げます。
白いポピーは平和主義者が付けるそう。
平凡妻は平和は願うけれど、ニュースを見る度に残念ながら世界平和は無理だなと100万回は思っているので、少なくとも出会う人には優しく生きていきたい。
何だか暗かったな。元気ですよ!?
今日もみなさんにとって良い日でありますように。