今日は少し重い話です。これは、平凡妻の育児の闇話。引かれそうな内容ではありますが、読者の方には誇張なく正直な心の内を明かします。
正直に申し上げて、私は子供という生き物全般が苦手です。それは昔から変わらず少女時代から大人の女性になっても一向に不変でした。
友達の子供は可愛くないわけではないけれど、犬や猫のほうがよっぽど利口で愛おしく、余計な口も利かない分憎たらしくもない、そんな女です。
見る分にはいいけど世話はしたくありません。
未だに年賀状に子供の写真を添付されると捨てる時に戸惑うからやめろ、とすら思っています。自分の家庭内で愛は完結させろ、と。(サイテー)
そんな女が母親をやっています。
結婚したら何となく子供は産むもの、とぼんやりした考えを夫婦で持っていたので産みました。正直、大したキャリアも仕事への情熱もない私は、母親になるという選択をすることで社会的な役割が欲しかったのかもしれません。
「Chiken or Fish?」
今朝息子をスクールに送る道すがら、子供を持つ人生と持たない人生は、この「Chiken or Fish?」の質問みたいだと思ったのです。
どちらもそれぞれに美味しい。好き嫌いは人それぞれで、チョイスも人それぞれ。ただ選択できない人もいる。
私は何となくで選び、その味しか知らないので必死に「私のchiken人生は美味しい。美味しい。美味しいはずだ。」「でもたまには横でFishを美味しそうに食べている人を見ると、かじってみたくなる。とても美味しそうで。」と、感情が揺れるのです。
もともと苦手だったのに何て責任重大な選択をしてしまったのか、と怖くなり、産後は精神がおかしくなってしまいました。
平凡妻には5歳になる息子がいます。自分で言うのも憚られますが、息子はとても育てやすい子で可愛い。しかし、言いにくい事実ですが育児は好きではありません。
こどもに全てを合わせる生活や、自分の時間が全く持てないことに毎日心が疲れていました。
息子とおままごとをするよりスマホを見たいし、食べもしない料理を作るより布団で寝たい。公園に行くより家で本が読みたい。マックよりおしゃれなカフェでランチセットかアツアツのラーメンが食べたい。
つまり、内心はいつも息子より自分なのです。
しかし、それは母親としてどうなのかと思うし、息子の笑顔が見たいというだけで全部諦めました。諦め続けて5年が経ち、心はどんどん諦めることに慣れ、とても良い母親になったと思います。
イギリスに来たばかりのころは息子は病気がちで預け先もなく、主人は出張で不在ばかりでした。引っ越したばかりの暗い部屋で、息子を抱えて泣いた夜がいくつもありました。
あまりに泣き止まない息子を叩いたこともあります。「もうこっちに来ないで!一人にさせてよ!」と言葉がまだ通じないことをいいことに暴言を吐いたことも一回じゃありません。最低なのは分かってる、でももうこれ以上頑張れない、そう思いました。
母親になるべき人間じゃないと悟ったのはイギリスに来てからです。
自分が幸せなのは知っています。恵まれている人生だとも思います。自分が望んで子供も持った。だからちゃんと、ちゃんとやらなければ、そう思うほど息ができませんでした。息子の要求してくる愛情が苦しかったのです。
息子の遊びに付き合うたびに、黒い感情が湧き出てくることもあります。「私はこんなに母親に遊んでもらえなかった。」「こんなに褒めてももらえなかった。」「もっと厳しく叱られたし、こんなに好きなおもちゃも買ってもらえなかった。いつも怒られてばかりだった。」
なんて子供っぽい感情に振り回されているのだろうと思っても、自分の幼少期の不満が次々と思い出されて苦しかったあの頃。
今思えば、あの時の私の母は余裕がなかったのだろうと理解はできます。あまりに育児が辛くて、きっと娘の自分を可愛がれなかったのだ、と。
そんな母親のように絶対になりたくなったはずなのに、私はとても母に似ている。自分のヒステリックに息子を怒る姿は、当時の私が怯えていた母そのもののようです。
その事実に打ちのめされ愕然とし、変わらなければ、と立て直す毎日。
そう簡単に変われるはずもなく自己嫌悪し、泣きながらキッチンでご飯を作った気持ちは忘れません。
結婚して子供を持つのは自然なことで、幸せの象徴とすら思っていた若かったあの頃の自分に言いたい。育児は辛い。子供を持たなくてもいい。
ただ、今まで知らなかった感情には出会える。絶望や失望や、自分が知らなかった怒り、悲しみや愛しさが何倍にもなること。自分以上に大切な存在ができることは、自分を強くすること。
でもその選択は安易にしてはいけない。女全員が母親に向いているわけではないし、引き換えに失うものがたくさんある、と。
息子は小学校のreceptionクラスに入学しました。週5日、9時から3時半まで。
「もうすぐ楽になるよ。」そう言われていた日々がようやく手に入りました。寂しさを1㎜も感じないのは、もともと育児に向いていないのと、向いていないながら踏ん張ってきた日々のおかげかと思います。
いつか手元から巣立つその日までこうやってきっと日々は続くのだと頭の片隅で思い、彼が脱ぎ散らかしたユニフォームを洗い、おやつを食べさせる毎日です。
息子には私より幸せになってほしい。できるだけのことはしてやりたい。残念ながら育児が生き甲斐の優しいお母さんにはなれなかったけれど。
それでも、悪くない母親だったといつか成人したころ思ってもらえるように毎日を一緒に生きていきたいと思います。
世界中で頑張っているお母さん、お父さん、今日もお疲れ様です。あまりのクズっぷりに引いた方もいるでしょう。こんな女なのですよ。平凡妻とか自分で言ってて平凡以下じゃねぇか。
本日は暗い話になりましたが、ダークサイド平凡(以下)妻のまま終わりたくありません。というわけで、最近息子に言われた一言を紹介します。
「おかあさん、そとからかえったらおててあらって。マラリアになるよ?」
…イギリスはそんな国じゃねぇ。恐ろしや、ドラえもんNEO生物図鑑!
…うちの息子、天才かもな。
5歳でマラリアを知ってれば東大決定!!